24/04/09 Sturm und Krank

今日ほど「春の嵐」という言葉が似合う日もなかったろう。

その語源通り、桜を散々荒らしていった。家の近所にも桜が一本植わっているが、その花びらが吹き飛ばされて門扉の前に積もっているのを見たときはびっくりした。誰かが撒いたのか?と。

日曜に出かけたとき、服装をミスったので完全に衣替えの気持ちになっていたが一気に引き戻された。怠惰のおかげで風邪を引かずに済んだ。ここ一年ぐらい季節の変わり目で必ず副鼻腔炎になっているので、今回こそは無傷で乗り越えたい所存である。

ところがまた明朝は冷え込むと言う。Twitterには「すべて」が流れてくるので助かる。今日より最低気温が10℃も低いらしい。三寒四温にも限度ってものがあるだろう。自律神経がぶっ壊れないか心配だ。もう4,5年も前になるが、適応障害で自律神経が失調したときは本当にしんどかったから、頼むから耐えてくれ~と祈っている。いや、祈る前にたくさん寝たほうがいいかも。

 

ひとが心身に不調を来すとき、原因は種々様々だが、内的なものと外的なものとで分けてみると、案外同じくらいの割合になるんじゃないかと思う。完全に感覚的な話。

ここで言う「不調」は調子が悪いことや、思わしくないことをぼんやりと指している。内外を隔てるものは己が身体の表面、皮膚である。皮膚をボーダーにして内側、たった0.1m^3しかなくて、最も自分に近い(自分自身かもしれない)のに、その実よくわからない機序がもたらす「よくない」こと。翻って皮膚の外側、toughでharshな世界(正確には、「世界-0.1m^3」の世界)がもたらす主観的に「よくない」こと。

体積的には比べようもないほど異なる内と外なのに、要因としては半々くらいだろうと感じてしまうのはなぜだろう。世界と言っても、せいぜい身の回りのことくらいしか世界と認識できないからだろうか。それにしてもまだ外のほうが広くて大きいが。

もちろんそれぞれ「よい」ことももたらすから、内側は内側で、外側は外側で、各々良し悪しのバランスが取れていて、結果内外でのバランスも保たれているとすれば、内外×善悪の4要素がそれぞれ同程度であると思えるからだろうか。

でもよいことばかりでも不調は来たさないしな。自分の感覚の由来がよく分からないのはちょっと気持ち悪い。やはり皮膚の内側と言えど自分自身とは言い難い。

 

結局のところ、いろいろなもの、ひいてはすべてが不思議なことに、うまーいこと相互に作用して、我々はなんとなく、いい感じに生きることができているんだろう。しかも、たぶんそれは我々が想像するよりはるかに絶妙なバランスで成り立っている。

今のところは、そう思い込むことにする。