23/02/24 neu

翻訳できない世界のことば、という本がある。

ほかの言葉に訳すとき、一言では言い表せないような各国固有の言葉を集めたもので、読む前から、目から鱗の落ちる思いだった。

もともと、それなりに外国語を勉強していた身として、日本語に訳語が用意されている外国語でも、必ずしも概念や意味の範囲がぴたりと合致することはないと思っていたが、こちら側に用意がないことばもまだまだあるのだなあ、と嬉しい気持ちになった(と同時に、たくさんの訳語を生み出した明治期の先人たちの知見の深さに戦慄する)。

 

だから、きっと、いや、ほぼ確信だが、世の中には自分がまだ知らない、自分の内側にあるものを、もっと的確に、端的に表せる言葉があると思う。

自分の矮小な脳みそで、わずか20数年の経験と思考の蓄積で見晴らせる範囲などたかが知れていて、それゆえ巨人の肩の上に立たねばならないのだが、それとは微妙に感覚のニュアンスが違っている。むしろ、世界にはまだ未発見の生物がごまんといる、ということと相対したときの好奇心と同じで、世界には知らないことばが無数にある、という事実に、ワクワクすらもしている。

情動を細かく裁断していって、それぞれの切れ端に相当することばをつないでいくのは、より精緻に、という点ではそうすべきなのだろうけど、残念なことに時間と手間がかかる。それに、それはあまりにも解体されすぎてしまっていて、串から外された焼き鳥のような、もの悲しさがある。

だから、もっとこう、自分が考えていることにぱちりと嵌るようなことばを見つけたい。日本語にはそれだけの語彙があると信じている。

 

・好きな「翻訳できない世界のことば」

Culaccino(伊):冷えたグラスの結露がテーブルに残す跡。