23/02/23 Soliste

昨日は外で飲酒し、今日も飲酒したので、それにまつわることで書く。

外で飲酒して一日を締めくくると、それは満たされた気分になるが、帰路でひとりになったとき、無性に寂しい。

人に会わなければ、人恋しさメーターはゼロのまま変わらず、よって心情にも波風が立ちはしないのだが、逆に誰かに会ってしまうと、その楽しい時間が終わったとき、楽しい方向に針が振り切れた反動でかなり落ち込む。故郷よりもよほど多くの親愛なる友人がいるというのに、面倒な性格をしているせいでそのようなメンタルの悪化を招くことは、シンプルにひどく悲しい。

別に、ひがな一日家に一人でいても、特段苦痛に感じるタイプではないが(もちろんそれが続く場合は話が別だ)、それなら、この文化と友人に囲まれた都に居を構える必要はない。

この厄介な性格との付き合いは今に始まったことではないが、それを自覚し、弥縫策に行きついたのは最近のことだ。人が多いところに一人で行く、というシンプルな(ほとんどのひとはそれを何かしら意味のあることとは思っていないだろうが)方法だ。人ごみに酔って孤独を溶かして、心の針を動かさないままに、自分だけが一人ではない、と錯覚させているに過ぎない。

ひとは生まれてから死ぬまでどうしようもなく一人なのかもしれない、という孤独にまつわる疑義、あるいは不安を、視角に収まる人間の絶対数で覆い隠して、手元の珈琲かウイスキーを転し、報酬の回路を麻痺させる、ただの現実逃避。口寂しい人間が煙草か飴を咥えることと本質的な差異はない。

こうした誤魔化しではない、根本的解決が可能か否か、というところは分からない。仮想的には、もう一人自分がいたらいいのに、とは思う。自分の面倒な部分も含めてすでに理解できていて、余計な気を遣う必要がない。

だが、そこには自分が大切にする相手の心を推し量るもどかしさとか、駆け引きとか、ときめきとかは存在しないのだろう。わがままな話だが、それもまた、嫌だなあ。

 

今日のお酒:角ハイボール×2、鍛高譚 ロック×1、ジェムソンハイボール×2、ワイルドターキー ロック×2