23/02/05 (I'm glad to) see you.

昨晩は立ち飲み屋を渡り歩き、またしても終電を喪失。今度は近かったから歩いて帰ることができた。

こういう生活はもう少し若いころにしておくべきなのではないか、という自覚もないわけではないが、経験したことがないことは、たとえいつになったとしても経験して、血肉にすべきだとポジティブに捉えている。

実際、なにせ、立ち飲み屋を擁する飲み屋街には、「人間」がいる。まっさらにフラットな状態で、まったくの他人と知り合うことができる、モラトリアムを終えた人間にとって最後のユートピアのように感じられる(裏を返せば、そうした立場になったからこそ、そうした場の良さが本当にわかるようになったともとれる)。

いや、わからない、もしかすると、世間一般の人間は、自分が知らない方法で、そうしたフラットにスタートする人間関係を再生産し続けられているのかもしれない。そう、たとえば、趣味の場とか。ボードゲームとかまさしく良さそう。

ともかく、そうした場は、アルコールの力が見過ごせない助けになって、自己開示が進む。しかも、そうした場を好むひとびとは、みんなどこかに、「あれ?」となる、ちょっと変なところがある(悪い意味で言っているのでは決してない。誉め言葉だ)し、大抵、定期的に、酔っ払って怪我をしている。

これをありのまま、というと「ありのまま」という日本語に怒られそうだが、原義フラットに、素の状態で、あけっぴろげに自分をさらけ出して、関係性を築いていける、たとえそれがその場限りの、そこでしか会わない関係性であったとしても、それはとても尊いことだなあと感じるのだ。

まあ、なので、そうしたところに通うために、そうした街に住みたいなあと感じた土曜日でした。

 

日曜日の話をすると長くなるので、忘備も兼ねて手短に記しておくと、食べようとしたラーメン屋が完全なピークアウトタイムにも関わらず並んでいて、1時間後から映画の予定だったため泣く泣くうどん屋に転がり込んだ(とり天がめちゃくちゃ美味しかった)。

そしてTHE FIRST SLAM DUNKを見た。音響がいまいちな映画館だったところは自分の選択ミスだが、封切りから2ヶ月経っても満員である理由が分かる、素晴らしいエンターテイメントであった。もちろん、随所に透けて見える作為が気になりはしたが、結末を知っているにも関わらず、手に汗握る「スポーツ観戦」ができた、満足感がある。なんだか演出に「ピンポン」を感じた。気のせいだろうか。

その後は靴を物色したり、カメラを眺めたり、本屋を練り歩いたり、最後はロシア料理屋でボルシチペリメニウォッカを添えて、一日を締めくくった。

非常に充実していたが、「おひとりさま」であることだけが、毎度悲しい気持ちになる。一方で、その日の予定はその日に決める、スケジュールを埋めるのが嫌いな人間なので、ひとりの方が気楽ということも否定できない。

だが、ロシア料理屋の一人客は(ディナータイムということもあって)自分一人だけだったのが結構厳しかった。

異常独身なんとやらの足音が、日に日に大きくなってきている。