23/01/20 Loneliness, Loneliness!

好きなひとのすべてを知りたいと思う。

この好き、には恋人に向けたものも、友人に向けたものも含まれている。自分の大切な人が何をしていて、どこに行って、どんなことを感じているのか知りたい。把握したい。承認欲求モンスターとはまた違う、SNS中毒者の一形態であると思う。好きなひとには、すべてを言葉にしてほしい。全部読みたい。

 

小学校だか、中学校だか記憶が定かではないのだが、国語の教科書か副教材で、「街の灯りを見て、自分の知らないひとたちが、知らない生活をしているのだ。そのことに気付いて、ひどく寂しくなった」という主旨の文章を読んだときから、その言語化された感覚が自分の頭の深いところに突き刺さって抜けていない。

街に出れば、無数に自分の知らないひとびとがいて、それぞれが、自分の知らないところで、自分の知らない生活をしているのだ、という当たり前のことが、どうしようもなく本質的に孤独なひとの定めみたいなものを想起させて、先に引いた文章のように、「ひどく寂しく」なる。

ただ偶然同時に居合わせただけの人間の集合体のなかで、そんな原初の孤独のことを考えているのは自分だけなのではないか、という妄想も(ひょっとすると事実かもしれないが)、その感覚を二重に包み込む。

 

しかし一方で、どこかひとつを知っていても、それはひどくむなしいだけで、満たされる安心どころか、もっと知りたい、という気持ち悪い好奇心が鎌首をもたげる。

輪をかけてめんどくさいのが、知っている(好きな)ひとの知らないところを知ったとき、勝手に自分で悲しくなることもある点だ。

ひととひとが、たんぱく質の膜によって、LCLのように溶け合えない以上、この孤独はきっと必ずつきまとう。それをふとした瞬間に意識してしまって、つながりに対する飢えと、虚無感の板挟みになって、矮小な自意識は音を立てて潰れる。

イェーガーに乗って、ドリフトできればいいのに。

 

この寂しさを、たとえ分かり合えたとしても、寂しいままなのが、また寂しい。

 

今日のお酒:サントリーハイボール