23/01/21 saki

世界で一番早く季節が巡る場所はアパレルショップに違いない。

梅の花より早く春を予言し、クリスマスより早く冬を予告する。あわてんぼうのサンタクロースどころの騒ぎではない。秋雨前線が鎮座するとき、店頭はすでにウィンターシーズンだ。

つまりは現実世界の気候と、陳列されている衣類が適している気候が噛み合わない。チャンスの神様は後ろ髪がない、などと言われたりするが、アパレルの神様は気付いたときにはもういない。桜の咲くころには半袖短パンにビーサンサングラスの神様がサーフィンしている。

 

時間の先取りでいえば、書店に赴いても同じことを感じられる。

1月に発売になる号は2月号だし、場合によっては3月号であったりする。次号が発売になるまでの期間、古い印象を与えることを避ける(n月10日にn月号を発売すれば、n+1月1日~9日までは、「古い」ものになってしまう)ためらしい。

 

前倒しで動くことが、何かしらの効果により、利益をもたらす、という仕組みは理解できる。無論それは前倒しでなくとも、スケジュール通りにものごとを動かしていくために、事前の締め切りを守って動いていくことにも同種の構造がある。

 

四半期単位以下の頻度で定期的に更新、あるいはデッドラインが到来することを繰り返していると、現世そのものが賽の河原とイコールであることが、より鮮明に印象付けられる。ニーチェが編集者だったら、深淵云々など言わず、あなたがひとつの締め切りを守ったとき、締め切りはすでに次の形態になって、あなたの眼前に迫っているのだ。とか言ってそうだ。

5日働いて2日休む、という一般的にルーティーンな労働も、一歩引いてみればペンローズの階段にすぎず、その労働の範疇にあらずとも、生まれ・育ち・老い・死ぬ、四コマ漫画の枠の外には到底出られそうもない。

であればこそ、生と死をつなぐ線を如何様に引いていくか、ということを考えるべきであり、それが人生と経験の軌跡たりえるのだろうが、神様ではない我々は、線が行く先を第三者的視点から予見することはできない。

あまりに人生は短いから、最終的には時間を先取りしていかないといけなくなっていくのだろう。蹴飛ばされた賽は足元に散らばったままではいけない。

 

今日のお酒:ビッグピート(ハイボール