23/02/06 時々、トーキー

近ごろ映画館に行く頻度が上がった。

少し前に2,000円と2時間を賭けるリスクに尻込みする、ということを書いたが、ここのところ当たりを引き続けている幸運もあって、行け行けGOGO、気になったものはすぐに見るスタンスになっている。こう上り調子だと外れを引いたときが怖い。サメとホラー(苦手なだけ)を避けておけばよかろうか。

映画館、それも全国に展開しているようなシネコンではない、ミニシアター(で合っているだろうか?)へ行く機会が増えていることもあって、置いてある映画祭だとか、映像祭だとかに接して、つまり(こんなことを言うと詳しい層から怒られそうだが)メジャーではない映像作品群を目にする機会が増えて、どんどん興味が湧いてくる。暗黒の空間でただ画面に正対して、視覚と聴覚と想像力が刺激されることに酔いしれつつあるのだ。

しかも、そうした映画館が残っている町は、もれなく雰囲気も良い。街にいるだけで鼻歌交じりにほっつき歩いてしまうような、そんな場所だ。無論、そこを好んで集まってくるひとびとも良い。街と、文化と、好きなものがくっついている。ハマらないわけがない。

だが正直、これはかなりの沼であることも予感している。いや、身の回りにいる「詳しい層」を思い浮かべると、かなりどころではない、頭の先まで埋まる底なし沼だということが見えている。年間400本見ますって、1年は365日ですよ(笑)と会話したことが記憶に新しい。

 

映画そのものに目を向ければ、それはときに卑近に、ときに非現実的に、まだ知らないひとつの物語を、疑似的に体験させてくれる。とくに、感情の揺れ動きを栄養のごとく摂取させてくれるところには、かなり惹かれている。現実は、ひどく平坦だから。

もちろん、小説に始まり、マンガや、アニメや、ゲームだって、同じことができる。でも、映像の中とはいえ、ひとがいて、演技に過ぎないのだけれど、確固たる存在としてそこに在る、そしてそれに没入する、ドラマにはできない芸当として、抜きん出ていると感じる。

 

そこに閉じ込められている感情に触れて、当てられるのは、感情の蓋が緩くなった老化現象みたいで、自分ではあまり面白くない。それでも、塗り固められた日々に、罅を入れてくれる存在くらい、それを恋しいと思うことくらい、自分で肯定したいと思う。

 

今日のお酒(これ書くの久々では!?):倉吉

 

※最近、「R15+じゃダメですか?」という、映画を題材にした漫画を読んでいることも、ひょっとすると一因かもしれない。おすすめです。

R15+じゃダメですか? - 岸谷轟/裏谷なぎ / 1本目 大人にならないとダメですか? | コミックDAYS