ギターヒーローの影響でYAMAHAのPACIFICA 611が飛ぶように売れているらしい。
鬼ころしお姉さんのYAMAHA TRB1004Jも売り切れているとか。
この光景はけいおんでも見たから感慨深い。
自分がギターを触り始めたのもちょうどそのころで(けいおんを見て、ではない)、そのあとベースに転向した。愛機はサンダーバード。友人に薦められて気に入って買ったのに、「まっすぐ立たないところがあなたの性格によく似ていると思った。だから薦めた」とあとから言われて、憤慨した思い出がある。
ストラップは白黒の市松模様。鯨幕と言われて憤慨した思い出がある。
閑話休題。
ギターやベースが飛ぶように売れて、YAMAHAもそれに乗っかっているところと、練習の様子を日記のごとく、毎日発信しているひとの多さを見て考えが及んだのは、この動画配信全盛期の今は、ギターもベースも始めやすそうだな、ということ。
かつて自分が練習していたころは、弾いてみた動画こそたくさんあれど、Tab譜に起こして一緒に載せてくれている親切なひとなんて限られていたし、少しマイナーな曲になればそもそも弾いてみた動画もない、などざらにあった(ナンバーガールのomoideですら1つか2つだったと思う)。
もちろん、始めやすいのは楽器に限ったことではない。ゲームの小技・テクニックに始まり、動画配信や編集方法、イラストや油絵や3DCG、どんなニッチなことでも指南者がいるのではないかというくらい教材動画が飽和している。
15歳がFortniteの日本代表だとか、小学生がblenderで無限城を作っただとか、彼らが本当のデジタルネイティブなのだということを実感する。
たしかにスマホのなかった時代を経験してきたはずなのに、そのころのライフスタイルが思い返せない。映像の中のできごととして(クリスマスエクスプレスのCMを見るように)ある種の憧憬になってしまっている。「何時に電話するから、電話の前で待っててね」なるコミュニケーションや、相手の親が出るのではあるまいかと緊張しながら電話をかける瞬間と、それに続く長電話、あるいは、待ち合わせで相手を探す時間。
不便であるがゆえに、そこにはこころをくすぐる機微があったように思う。それを一般的に「あたたかみ」というのだろう。
つながっているのに、つながっていない、デジタルジャングルを彷徨う令和人としては、つながっていないのに、つながっている、そういう見えない紐帯を大切にして、思いを馳せたい。
ぼっち・ざ・ろっく!についてあれこれ考えていたはずなのに変な終点に着いてしまった。これもまた一興。
今日のお酒:ズブロッカ