「青春ゾンビ」という言葉がある。
この文章を書くまで、一般に通用する言葉だと自分は思っていたが、調べてみるとどうやらそうでもないらしい。「青春時代にやり残した/思い残したことが多く、かつその無念を抱え続けて拗らせ、生ける屍と化したひと」のことを指す。
昨日と同じく、その単語に言及するということは、すなわち自分がそうである、ということの自白にほかならない。しかしながら、我が青春を振り返ってみると、平均水準以上に充実していたと自画自賛することができる(友人に恵まれたとか、部活を放り出してバンド活動をしただとか、大恋愛をしただとか、勉学に励んだとか...)ので、もとの意味に照らし合わせると、どうも噛み合わない。
だが、まあ、どうして自分が生ける屍と化してしまったかの原因は、おおよそ――9割方――掴めている。なので、それに基づいて、ここに第二の定義を掲げたいと思う。前提として、自分は青春の時間軸的な定義に関して、高校3年間のみを「青春」であるとする原理主義者であることを記しておく(大学も含めると、自分は原義「青春ゾンビ」と化す。落差がちょっと面白い)。
(My) Second Definitionは、「青春時代の空気感を忘れられず、当時の自他の精神性を理想のものとして、心理的に卒業できずにいる、生ける屍と化したひと」であるとしたい。「青春時代の空気感」も「当時の自他の精神性」もほとんど意味合いとしては同じで、若さゆえの万能感、向こう見ずな冒険心、希望と理想を根底に据えた飽くなき独善性。いわゆる「青い」とか「イタい」の語に回収される、あの雰囲気だ。もちろん、学年が上がると同時に、逃れられない現実の苦さがトッピングされることも、筆舌に尽くし難い趣がある。
そういうあれこれに、完全に虜になっているのだ。酒に酔うようになった頭では、解像度を保って描き出せない、一挙手一投足が輝いていたあの瞬間たち。失敗して傷ついたあの痛みと、成功して喜んだあの高揚。人生で最も物語性を持った期間として(物語化することは嫌だが)、ほとんどのひとはそれを糧に「大人」になっていくのだろう。
16~18歳の3年間のみに許されたあの特権に、いつまでも恋焦がれてしまっているという大変気色の悪い事実を整理してみて、少し気が滅入ってしまった。
だが、こうして振り返ってみると、なまじ多くの体験をしてしまったがために囚われているのかもしれない、と前向き(前向きか?)な示唆も得られた。楽しかったあのころ、と過度に美化する懐古趣味的側面が異形化するとゾンビになるのだと思う。
結局、いまが一番楽しい、と思えれば、詮無きもろもろの悩みも溶けてなくなっていくんだろうな...と気付き始めた。果たしてそう思える日が来るのかは別として。
今日のお酒:バレッヒェン10年