23/03/25 5時に更新してたら意味ないぜ

昨夜は疲労で、椅子の上で寝てしまった。

22時くらいから5時くらいまで椅子で寝ていたから、相当なものだ。おかげで今日は身体のあちこちが変な感じで、睡眠の質も悪かったみたいで21時には眠くなった。

ということで、自分では疲れていない気がしていても、案外疲労は溜まっているものなのだなあ、という、なんだか老化を感じさせることについて。

まず、恐らく、自分にとってちょうどいい睡眠時間は8時間だ。考えるに少し長め。一方で、普段自分が問題なく生活するために最低限必要と感じていて、確保するようにしている睡眠時間は6時間。4時間でも動けなくはないが、欠伸が止まらない。

自分が余暇でやりたいことを最優先するあまり、どれくらいの時間寝たか、ということよりも、寝たかどうか、の方がむしろ大事になってきてはいる。日中の労働によって余暇が削られており、そのために睡眠時間を確保するのも癪だし、というところが根底にあるのだけど、やはりこうした生活を続けていると、目に見えないところで何か、つまり、疲労とかストレスとか、そういった類のもの、が溜まっていくのだなあ、と実感した出来事だった。家具の裏のホコリみたいだ。

そうした悪性の不純物は、何かの拍子に許容値を超えて、心身に悪影響を及ぼす、ということは、よく考えてみれば適応障害が起きた構造とまったく同じだ。少し違うのは、影響の結果が徐々に現れるか、または突如現れるかというところくらいか。

困ったことに後者は、悪影響が出たという事実と認識が同時になる。気が付いていないのだから、そうなるときまで平常運転をしてしまうのは当然のことだ。鉄道車両や飛行機は頻繁にメンテナンスされるけど、人体はせいぜい年一度、しかもある程度の年齢まで至らないと、丁寧に見てもらえない様子だ。

 

ではどうしたら、そういう見えない「何か」、特に良くないものの蓄積に気が付いくことができるのだろうか。「自分のことは自分が一番分かっている」というのも、あながち間違いではないと思うけれど、でもやっぱり、もっと細かい部分は、例えば家族とか、一緒に住んでいるひととか、同僚とか、そういう頻繁に顔を突き合わせる関係のひとになら、見抜いてもらえるのかな。なんだかそれも怪しい気がする。不摂生を注意してくれたり、防いでくれたりはしそうだけど...。

結局、とても単純に、節制して摂生することが大事なのかも。それでも防げないことはあるだろうけど、基本中の基本を押さえることが、やっぱり健康の第一歩なのかもね。

なんだか話題に年齢を感じて嫌だなあ!5歳も年下のひとと話したからかもしれない!見た目だけでなくて、精神性も若くありたいものだ!はあ!

 

今日のお酒:角ハイボール×2、デュワーズハイボール×2