23/02/13 I Should Care

自分で「あのことは書いたかな」と過去の投稿を読み返して、(あれ?自分、余計なことまで書き足し過ぎて、話が散らかりまくっていないか?)と、自分でも薄々気付いていたことを、おのが目ではっきり確認してしまった。

ただの雑記に、そんな一貫性を求めても致し方ない、とは自覚しているが、それにしても「あれもこれも」と思いついたことを何でも付け足して、最終的にめちゃくちゃなごった煮、いわゆる「バカが取ってきたバイキングの皿」*1になってしまっているのが、なんだか少し、自分自身で嫌な感じがする。

 

だから、もう少しテーマ(そんなものあったか?)に沿って一本調子で書けるように努めよう、と思ったけれど、どうだろう、そういう「余計なもの」がこびりついている歪な書き止めの方が、読み返したときに深堀りの余地とか、思索の接ぎ木ができる伸びしろがあるのではなかろうか?

「この日の自分はこんなきっかけをもとに、こんなことを連想していったのだな、でも今なら別の方向に考えていくだろうな」ということが、すでに自己再生産の薪となりうる「余白」たりえている。

 

しかし、もとはと言えば「一貫性のない、あっちこっちに散らかった思考になってしまっているかもしれない、ということに気付いた危機感*2」からこの何の役にも立たない日記(?)をつけ始めたのだから、やっぱりもう少し「芯」を通していきたいと思う。できるかどうかは別として。

別に、考えている最中に飛躍した先は、後日に寝かせておいても良いわけだ(外山滋比古もそう言っていた!)し、そうした方が、きっかり短い時間で書き上げられるような気がする。

いや、ひょっとすると、ジャズの演奏と同じ構成にするといいのかもしれない!きっかけをテーマに、アドリブは文字通りアドリブで、最後、またテーマに戻って終わる、なんだか着地点として美しい気がするな!?

 

またしても最後、少し横道に逸れてしまった気がするが、個人的には結構良い洞察を得られた気がする。あれ、そういえば、論文ってまさしくジャズみたいな構成だったような...?

 

今日のお酒:アーストン10年 シーカスク

*1:インターネットでは一般的な慣用句だと思っていたが、調べてみたら限られた界隈の用語だった

*2:はじめに - としゅひゃっぺん