23/01/15 Press Start Button

昨晩は上野で飲酒して、そのまま終電を逃す失態を犯し、1.5時間の徒歩+心が折れてタクシーで帰宅したので、書けなかった。

ともに飲み歩いた友人とは、会うたびにおたがいの嗜好・志向・思考を解剖していく会話ができるので、とても楽しい。

終電後の世界もひざびさに目の当たりにしたので、それも含めてよい土曜日だった。

 

さて、昨日(アルコールを飲み始める前に)考えていて、気付いたことがある。

何かを始めるのに、遅いということはない、という言説についてだが、あれこれ考えて、自分はその「何か」を始めるとき、前提として上手くなりたいのだ、ということに気が付いた。承認欲求モンスターか?

 

ことの端緒は、年始に立てた目標の、どこから手をつけていこうかな、という検討で、いやでも、遅いということはないというのは本当だろうか?みたいなくだらないスタートボタンだった。

ゲームセンターで100円玉を投入するくらいの気分で、究極人それぞれだ、という着地点を透かして見ておきながら、だんだん、あれあれなんだかおかしいぞ、と自覚していなかった自意識に目を向けることになった。

人それぞれだ、と考えたときに、脳内にはゴッホや、福居良がいた。なかなか芽が出なかった大器晩成型ではなく、始める時期が遅かった、という点で連想できたのはこの二人で、前者に至っては死んでから評価された悲哀すらある。

自分の見識の狭さもあるが、二人しか連想できなかった時点で、それはかなり限定的な例に過ぎず、なんだ、結局人それぞれで、手遅れであることはたくさんあるじゃないか。覆水盆に返らず、後の祭り、昔の人は上手いこと言ったもんだ、とひとり早合点して、いや、別に、頭角を現すことと、自分が興味を持ったことを好んですることは、全然別のことでは?と思い至った。

人それぞれという評価軸は、それが上手くなるか否かというところにあって、そもそもひとは自分の好きなことを楽しめているという視点が抜け落ちていた!

当然ながら、趣味は趣味で、上手い下手なんて関係ないのだ。

このマインドは早くなんとかしたい。自分が楽しめていることに、自分で批評的な視点を持ち込まずに、ただそれそのものを好きになりたい。長らくそう思っている。

helvetica7.hatenablog.com

自分で年末に言ってるのにね。愚かしいことだ。

 

さておき、どうしても、なぜもっと早く始めなかった?という意識が生まれてくるのも自分の悪い癖で、過去に始めようと思ったことを、ひとに否定されたことが根底にあるのだろうけれど、またこれは別のネタにしよう。

 

毎日NEW GAMEを始めるつもりでこの日記を書いているのに、昨日始めたデータをロードしてしまったような、ちょっとズルをした気分に、今なっている。

自分で600字は書きたいと勝手に下限を設けているけど、外でひとと飲酒して、普段にも増して頭が回らないなら、飲んだ場所・お酒・食べたものだけでも書いてお茶を濁すのも、長く続ける秘訣かも、と、思いました(小並感)。

 

今日のお酒:なし。休肝日。