22/12/27 RTA in Japan Winter 2022

RTAの動画や生放送を見るのが好きだ。

2,3年前に発売されたゲームのチャートがどんどん磨かれていくさまを見ることも好きだが、もう発売が数十年前にもなろうかというくらいレトロなゲームの煮詰められたチャートで、小数点以下の更新が競われているのも趣深い。肉体を酷使するようなゲームもあることを考えれば、まさしくアスリートではないかと。

と、いうことをRTA in Japan Winter 2022を見ながら考えた。

特にクッキークリッカーで。

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ではではどうしてRTAが好きなのだろうと考えてみると、おそらく「ただ誰よりも早くクリアする」という一点を突き詰めていくところが好きなのだ。ざっくり一般化すれば、余計なものを削ぎ落として洗練していくプロセスと、その成果が好きなのだ。

そしてたぶん、それは必ずしも「ナンバーワン」である必要はない。スタイルとして「オンリーワン」が確立されていること/ものこそ、良い、と感じる、のだと思う。

なぜそう感じるのか、その理由を掘り返すと際限がない、というかまとめるにも時間がかかる気がするので措いておくとして、この感覚は裏返すと、自分がそうした「一つのものを突き詰める」ことができていないからなのだと思う。熱中できないとも言う。

ではなぜ熱中できないのか、ということを考えると、逆説的に、自分のしていることに対して「突き詰められていない」「洗練されていない」と感じるからだ。

無論、洗練された領域に辿り着ける人間は一握りで、彼ら彼女らも野暮な段階はあったはずなのだ。そのことを理解できているにも関わらず、納得できない。

 

このマインドは早くなんとかしたい。自分が楽しめていることに、自分で批評的な視点を持ち込まずに、ただそれそのものを好きになりたい。長らくそう思っている。

好きこそものの上手なれ、とも言うのだから。