24/02/07 Enthusiasmkiller

雪が降った。足跡が残るくらいには積もってたのを知っている。知らない間に融けていた。

世の中の流行に対しても似たような態度を取っているな、と思った。
何かが爆発的に流行っていることは知っている。なんなら流行る前から知っていたこともある。でも、流行っているから、という理由でそれに手を出すことはあまりない。ゆるい逆張り。流行っているという事実がそれに対する興味を失わせる。応援していたバンドが有名になったら、なんか冷めちゃうのと似ている。
それに、流行り(だけじゃないけど、とにかく何か)に熱狂している人を見ると、これと同じにはなりたくないな、という冷静さが自分の「狂い」を抑制しに来る。

熱狂は楽しい。経験したことがないわけじゃない。何かに夢中だと、その他気に障る諸々があまり気にならなくなる。熱狂に吸い込まれてオールインした献身は自己効力感にもなる。推し活もある種そうだろう。応援の結果、推しが活躍すると嬉しい。

でも、なんだか、それ、すなわち熱狂は、生き甲斐のアウトソーシングのような気がする。いや、こんなことを言い出したらキリがないことは分かっている。「何かのために」の「何か」に自分以外が代入されたとき、それは全部「そう」なってしまうからだ。それはつまり客体への愛の否定であろう。そこまで言うつもりはない。何かを大切にして愛を注ぐのと同じくらい、自分にも愛を注いだ方が良い、と無意識に考えているのかもしれない。自分でもうまく整理できていない。

そういうことを考えながら今日は外に出た。まだ少しだけ、融けかけてまた固まった、残された雪に特有のザクザクとした感触をその肌から思わせる塊が、日陰の苔のように佇んでいた。

少し名残惜しくて、その片端を爪先で弄った。案の定、サクレのようにザクザクとしていた雪は、コンクリに滲んで消えていった。

まだしっかり積もっているうちに、雪だるまを作ればよかった、と思った。