駅のホームが好きだ。特に相対式の、上りの電車を待つひとたちと、下りの電車を待つひとたちが向き合う駅。
ひとりで待つひとは手元の小さな画面を眺めていることが多い。それは文庫本であることもたまにあるが、空を眺めていたり、足元を見つめていたりするひともいて(高齢の方はたいていこのタイプだけど)、そういうひとは何を考えているのかな、と思いを馳せることは面白い。
ふたりでいるひとたち、もとい、ふたり以上でいるひとたちは、おおよそ談笑している。とりわけ男女ふたり組の屈託のない笑顔や、小さい子どもを連れた夫婦などは、陳腐な言い方になるがたまらなく尊い。
そのひとたちの話題は、これから向かうところに対する期待だろうか、それとも最近あった他愛もない話だろうか。今、そこにある、大切なひととの幸福なひとときに対する、疑いのない信頼、喜び、春の陽の光にも似た暖かさがある。眩しい。
自分は予定をあらかじめ決めるのが苦手なので、当然起きてから今日は何をするか、ということを考える。今日はまず三菱一号館美術館の「芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル」*1に行って(特に芳年が素晴らしかった)、靴を買って(今まで2足しか持っていなかった)、「別れる決心」*2を見て(ソン・ソレが大好きだ)、帰宅した。
全部ひとり。だから、前段のようなことを考えるに至った。相手を見つけたほうがいいのかもしれないが、こんな有り様だから、大抵愛想を尽かされる。
けれどやはり、同じ絵を見て、あれこれ語り合ったり、相手に似合う衣類を見繕ったり、という時間は、ひとりで過ごすよりも、煩わしいことは多いけれど、それと同等に(それ以上とは言い切りたくない)、愛おしいことも多いはずなのだ。
なのだけれど、なのだけれど~難しい。結局、ひとりで手元の画面を眺めて、こうした文章を綴りながら電車を待っていても、そこに不満足はないのだ。
はてさて、どうすればいいことやら...。
今日のお酒:ロックアイランド