23/05/25 干し空

布団を干した。

寒がりなうえに、日当たりの悪い部屋に住んでいるので、つい先日まで冬用の布団を使っていたけど、さすがにもう暑くなった。しかし、片付けようにも、ここのところの雨続きで一向に干せずにいた。部屋の隅に丸めて放り出していたがかなり邪魔で、ぼんやり暖かな今日の陽気は待ち望んだそれだった。

クローゼットから物干し竿を出して、物干し竿掛けに引っ掛ける。くしゃくしゃに丸められた布団をそれに干して、延ばして、軽くぼふぼふ叩いて...。雲も僅かな青空から降ってくる穏やかな熱に眠気を誘われる。

そう、そういえば、自分は物干し竿を、洗濯物を取り込むとき一緒に縮めて部屋に取り込んでいる。ふと窓の外を見たときに、空が切断されていることが嫌だからだ。それが快晴だろうとも、曇天だろうとも。

こういった細かな不便であっても、それが心の安寧を保つのに必要なことであるならば、それは省いてはならない気がする。その不便を厭うことによって思わしくない状態が続くのなら、それはつまりメンタルポイントの最大値を自ら引き下げることにほかならない。もちろん、不便と不穏を天秤にかける前提はあるだろうが。

結果として不便の方が軽いのであれば、わずかながらの手間をかけて、心地よい状態を維持することはセルフケアのひとつだと思う。自分へのご褒美として、いくらか奮発して良いものにお金をかけることと本質的には同じだ。事前か事後か、コストが時間か金銭か、程度の誤差でしかない。

「自分の機嫌は自分で取る」みたいな、あるいは「丁寧な暮らし」みたいな。そもそもとして、いずれの言い回しにも違和感を抱かずにはいられないが、要するにそういうことと共通点を持つ行いだろうと思う。

 

そう、快適でいるために必要なコストは人それぞれ、質も量も違うけど、でも、ちょっと窓に目を向けて青空を眺めて安らげる、そういう状態はひょっとするとすでに快適なのかもしれないな。こういう心持ちであり続けたい。

 

ちなみに布団を干している間は、久々に晴れてくれた空が全然見えなくて、かなり体験としては悪かった。残念。