23/04/07 Exceeeed

昨日は眠すぎてロクに頭が回らなかった。今日もその後遺症が朧げに残っていた気がする。たぶん、一昨日、昨日と二日続けて飲んだエナジードリンクのせいだ。

続けて飲んだのが良くなかったのか、そもそも身体が耐えきれなくなってきているのか定かではないが、いずれにしてもこうも響くものか、という驚きの方が先に来る。

そもそも飲んだ理由も、特段エナジーが必要だったわけではなくて、二本買うと特典が貰えますよというよくあるキャンペーンに唆されて買ってきて、冷蔵庫に寝かしておいても邪魔なだけなのでさっさと飲んでしまおうとしただけだ。もっと若かったころ、一日に二本飲んで体調が砕け散ったことだけはしっかり覚えていて、一日一本を順守したのは我ながら偉い。学習能力が見て取れる。

だけど、久々に飲んでみて、やっぱり飲料としてシンプルに美味しいな、と思った。いや、美味しいというのは誤りかもしれない。激烈な甘さで脳天を割られるような刺激が快感を得られる、言った方が良さそうだ。砂糖の量はコーラの方が多いらしいので、他の部分でそういう感覚に陥っているのだろうが、とにかく健康的な生活には不要なものであることは間違いない。

そう、そういった不健康なものほど欲しくなってしまうのだ、ということを思って、それはたぶん、文化が必要とされるのと根は同じだよな、と思い当たった。少なくとも実生活において困難を感じない程度の健康状態を保てているからこそ、不健康に片足の先を浸けるような飲食物に手を出せるのだし、少なくとも実生活において困難を感じない程度の文明の豊かさを保てているからこそ、究極の実用主義的見地に立てば不必要と断ざれるであろう文化に安らいでいることができるのだ。健康の余白がバッファとなる不健康と、文明が生み出した余白に立つ文化。ともすれば瓦解してしまう危うさの傘の下にいることも似通っていて面白い。

健康だからエナジードリンクも飲むし、お酒も飲むし、寝る前にポテチも食べちゃう。文明社会に生きていられているから芸術で心を潤すことができる。日常生活に余裕を保てているからこんな文章を書くことができる。

だから、そうしたことが可能な幸運に対する感謝と、ある種の恩返しはしなくてはならないだろうな、ということも同時に思った。誰かの余裕は誰かの切迫によって生まれているので。

 

今日のお酒:眠すぎてなし