行動を妨げるものは内的・外的いずれにも多々あれど、最も厄介だと感じているものが二つある。「怠惰」と「虚しさ」だ。
たちが悪いことに、この二つはそれぞれ相互に作用しあって、精神の奥深くまで根を伸ばしてくる。
「面倒だから辞めておくか」というマインドに打ち克って行動に移しても、なんだか満たされないまま「虚しかった」という後味が残ると、「面倒と予感した自分の感性は正しかった」と思い込んで、怠惰が加速する。
特段面倒と思っていない、むしろ気が向いている事物に対しても、とりあえず行動に移す前に、「本当に自分はそれで満たされるのか?」と過去の経験をもとに余計なことを考えてしまって、興が醒め、機を逃す。
自分はこの二つと付き合ってもう十年以上になる。おかげで人生経験がスカスカだ。何も良いことはなかった。それなのに、未だに、特に怠惰の方の根を取り除けていない。
結局、どうしてこんなものに囚われているのかは割と明快で、考えなくてもいいような先のことを考えてしまっているからだ。裏を返せば、目下のことに追われているときや夢中になっているときは、そんな雑念が頭をよぎることはない。
生活や脳内に設けている余白が、思わぬ形で不要なものに埋められてしまって、ひどく悲しい。その席はもっと大切なものを据えるために空けておいたのに!という怒りもある。
でも、同時に、打ち込めるものを見つけられていないから、雑念だらけの、どっちつかずの浮ついた思考に塗れてしまうのだ、ということも思う。大切なものを持ち合わせていないから、自分自身も大切にできないし、そういうことが平気な心理状態を維持できるのだろう。自分の人生を生きているという感覚が薄いこととも通底している。
まあ、端的に、かつ乱暴にまとめてしまえば、自分自身が穴の開いたボトルのように、あるいは砂漠のように、水を注いでも意味のない状態にあるのだ。
そりゃあ当然、花が育つわけもない。