人に言われたことを、たとえそれがひどい言葉であったとしても、かなり早い段階で忘れてしまう癖がある。その一方で、自分が言ったことは、割と細かいところまで覚えている。特に、相手を傷つけてしまったであろう言葉は。
エピソード自体はしっかり覚えているのだ。誰と、どこで、何をしたか。しかも、大抵の場合、そのエピソードのなかにある何かしらの記憶がフックとなって、いつごろか、ということも月単位で思い出せる。半袖を着ていて試験の結果の話をしていたとか、生で見たい番組を泣く泣く我慢して出かけたとか。人の名前と顔を一致させて覚えることだって得意だ(これは立ち飲み屋で役に立つ)。
それなのに、言われたことは忘れる。
労働において拝命したタスクや、日常生活ですべきことは書き留めるから忘れない。でも、ことばはそうもいかない。結果として、「そんなこと言ってたっけ?」という反応をして、「言ったよ!」と小突かれることが多い。それなのに、自分の発言は覚えているので、「でもたぶん、そのとき自分はこう言ったよね?」と正確にリプレイしてしまって、逆に、「なんでこっちが言ったことは忘れてるんだよ!」と今度はしっかり殴られる。
会話において、そのときどきで自分の胸中にあるものを表現するに適切なことばを選んで、口から音として放つことがとてもスムーズにできる、その自負はある。
だから、その分、そのおしゃべりの内容を、自分の内に深く刻んではいないのかもしれない。
入力された音声に伴って湧き出た思考・情動を、それを対峙する相手にとって吸収しやすいことばや表現を摘み取り、音声にして返すことが、あいにくにも反射的に行えてしまうからこそ、結果として、それはメモリに一時的に置かれるだけで、ハードディスクへは保存されないのではないか。
逆に、そうではない、一挙手一投足みたいな方が苦手だから(苦手か?)こそ、それを出力するまでの苦労が、ひとつエピソードとして、明確な形を保ちうるのではないか。
いや、でもそれだと、どうしてあんなことを言ったのか、という後悔と、そんなことを言われるとは、とショックを受けた相手の顔とともに、自分の発したひどい言葉をしっかり覚えていることの説明にはならない。
もしかすると、得意だと思っていたことば選びに失敗した、という苦い経験に分類されるから、同じことを二度としないように、名前をつけて保存しているのかもしれない。そんな気がする。
幽霊の正体見たり枯れ尾花的な、全然面白くもない着地点だった。こんなことなら昨日の続きで、物語のことでも考えておけばよかった。
もったいないメモリの使い方をしてしまった水曜日でした。
今日のお酒:ビッグピート
ビッグピートも飲み干してしまった!早く買わねば~!