23/02/27 徒然っぽさ

「現状維持は後退である」という言説は、特に成長志向の強い勤勉な野心家(aspirant)によって、しばしば引用される。大抵の場合、誰の言葉か、ということも、当人の威を借りて(空虚な)説得力を持たせるために併せて用いられる。

 

そもそもの言葉の意味は、『「相対的に」後退である』と補足して理解できる。自分自身が立つ位置、例えば登山だとすれば、5合目で座り込んでいた場合、一緒に登り始めたひとはそのうち頂上にたどり着くし、あとから出発したひとがそのうち追いついてくる。

同じ位置に留まっていても、自身のもとから物理的に失われるものはない。しかし、置いて行かれる/追いつかれるということに向かい合うと、いまいち言葉にしにくいが、安住の地を守りたい気持ちと、落伍しているのではないかという不安とが鍔迫り合いをして、「なにか」が目減りしていく。

そうした「なにか」を見ないふりをしなければ、永遠に回し車のなかで走り続ける羽目になることは言うまでもない。泳がなければ死ぬマグロと同じさだめ。

大切なものを見つけられていない自分にとって、そうならざるを得ないという意味も兼ねて、見ないふりをするのは得意なのだが、しかし、もう少しつぶさに見つめてみると、本当は「なにか」が目減りしているのではなくて、「なにか」が「なにか」に蝕まれていく、という方が適しているかもしれない。

いや、たぶん両方だ。目減りしていくのは機会や時間、蝕むのはマイナス感情、蝕まれていくのは身体と精神。

だから、実際のところ、現状維持にもそれなりの力を要するのだ。ブロンズ像を磨かなければ青く鈍っていくのと同じで、今いるところを守り、そこに居続けるのもそれなりに大変なのだ。

というか、そこまでしても現状を維持しようとするのであれば、それはすでに終の棲家とも呼ぶべきこだわり/居場所であって、失われるものを差し引いてでもそうあろう/ここにいようと思える場所なのだと思う。

そういう在り方を見つけたいし、そういうところに、私は在りたい。

 

今日のお酒:ウッドフォードリザーブ