23/02/20 アウトソーシング

久々に時間外労働に身を窶すことになったのだが、ふと、こうした本来不必要な時間と体力の使い方を半強制されているときに、あまり「大変だ」とか「苦労だ」と感じたことがない、ということに気が付いた。

気が付いたが、もう少しつぶさに、そういった状況にある自分の感情を読み解いてみると、そこにはむしろ、その行為自体に対する「大変」の代わりに、怒りとか、倦怠感とか、空虚さがひとつにパッキングされた攻撃的な感情が爆弾のように震えていて、自分に「そう」させる根本的原因を打ち壊さんとする衝動が感情を支配しているようだった。

有り体に言ってしまえば、他責思考である。自分がそうすることを進んで選択しているわけではないのに、無益な行為を押し付けてくる人間に対する腹立たしさがメインを張っているから、行為そのものに目が向かないというわけだ。

 

自分でも結構便利な思考回路をしているな、と思いつつ、なんだか嫌味な言い方になるが、大抵のことを一般に比して短い時間で、それなりにできるようになるタイプだった(呑み込みがいいってやつだ)ことも、ある種関係しているのかも、と思った。

行為自体を不自由なくこなせるようになるまで(想像に難くないと思うが、不自由を感じ始めると、それを放り出すタイプだ)の苦労が希薄だし、あるいは無意識のうちにそういった不自由を克服するためのスキームを組んでいるのかもしれないが、それゆえに、これをやるのは骨が折れるぞ、とか感じることなく、面倒なことをさせやがって、という棘が生えてくるのかもしれない。

 

だが、まあ、そういうご都合主義をもってしても、乗り越えられない「大変」はあったし、ひどいときには適応障害になった。インターネッツにはびこるファッション鬱ではなく、本物を経験できたことは人生の糧になっているが、その経験が自己防衛として、輪をかけて「自分のせいじゃない」マインドを強化している気がして、そのうち化け物になってしまいそうで怖い。

でも、そういった経験がひととしての厚みを持たせてくれたような気もしていて、いや、そうならなくていいなら、ないに越したことはないのだが、今では「大変」だったことを含めて、人生の道程として客観視できる経験だ。

 

これら総合すると、ひょっとすると自分は資本主義社会における労働者として結構やっていけるんじゃないか、と自画自賛してしまいそうになるが、「大変」エミュレータたるアングリー爆弾に自分から火をつける必要もなかろうて。

シンプルに大人げない自覚もあるが、一方で、こうしたメンタリティは、MP(メンタルポイント)が少ない人間でも、それを消費することなくダメージを軽減できるから、やっぱり便利な思考回路だと思う。

とりもなおさず、大変なことに向き合うのは、もっと自分の個人的な部分だけで十分だ。

 

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