23/02/18 神様の言う通り

世界のあらゆる人間は、仮にいなくなったとしても、特段世界に影響はないだろう、ということを、結構昔から考えている。

卑近な例を挙げれば、働いていて、ある日突然何らかの原因で勤務が難しくなったとする。それでも、会社という組織はふつうに回っていくだろう。大抵の場合、自分でしかできない仕事、というものは存在しないと思う。何せ、あのスティーブ・ジョブスが亡くなってからも、アップルという会社は難なく存続している(今の姿をジョブズがどう感じるかは別として)。

ただ、自分の中ではもう少しこの考えがエスカレートしていて、あるいは、もとからそのひとがいなかったとしても、きっとほかの誰かが、同じような役割を果たすのだろう、と感じている。ピカソがいなくても、ほかの誰かがキュビズムを創始していただろうし、ジョン・レノンが音楽の道に進まなかったとしても、ほかの誰かが、ビートルズではないバンドで、世界にロックンロールの嵐を巻き起こしていただろうと、そう思えるのだ。

 

だから、身の回りで起きることの大半は運によるものでしかなくて、悲しいかな、この世に生を受けた瞬間から、ひたすらクジを引き続けているだけだと思っている。もちろん、箱に含まれるクジの数と、当たりの割合は、一番最初の出生時にある程度決まる。

非常に腹立たしいが、割り切らねばならないさだめなのだと思う。それに、徐々にクジを引ける機会自体が減っていく。そういうときに、自分を納得させるために「置かれた場所で咲きなさい」みたいな本が流行るのだろう。

でも、きっと、こんなことを考えなくて済むことが、一番の当たりクジだ。