23/01/04 (Instrumental)

流行りの曲が分からない。

数日前の紅白も、なんだかよく分からないうちに終わっていた。Vaundyというひとが客を煽っていたことだけは鮮明に記憶に残っているが。

 

思えば十数年前は、流行りの曲はすべてチェックしていた。土曜深夜のCDTVを欠かさず録画し(今や録画という行為も風化しつつあるのか?)、日曜の朝、起きてすぐに見るのがルーティーンであった。今や風前の灯火であるレンタルCDショップに通っては、数枚のアルバムを悩み抜いて厳選し、狂ったように新しく知る曲を聞いていた。

それがどうだろう、サブスクリプションサービスによって、定額で世界中の曲が聞き放題になったにも関わらず、「今年ヒットした曲」も、「新進気鋭の有名なアーティスト」も知らない。

それはシンプルに、「流行りの曲」の流行り方がかつてと大きく変わったからか、自分の好みが変容したからか、もっと没頭できる面白いことを見つけたからか、あるいはそのすべてによるものかもしれない。

 

そういうことを、90年代渋谷系プレイリストを流しながら思った。

ひとつめについては、シンプルにTikTokで流行った曲が流行るだとか、再注目されるだとか、ムーブメントとしては真っ当なものだが、それを見ないものにとってそれは埒外であり、依然として未知に過ぎない。

ふたつめについては、詞のある曲を避けるようになってきた。特別好きなジャンルであるロックが、なんだかよくわからないナヨナヨポエットに侵食されてきたこと、そして根本的にバンド編成である意味のないひとびとの台頭もその一因だと自認している。

みっつめについては言わずもがな、インターネッツのおかげで、CD一枚に広がる新世界に潜らずとも、無限の娯楽に耽ることが可能になった。

 

きわめて個人的な好みの事情まで吐き出しておいてなんだけれど、結局、「最先端」を聞く術を持っていても、90'sのプレイリストに流れ着いてしまうし、それで満足しているのだから、自分はこれでいいのだろう。

 

音楽に関して愚痴り始めるときりがないので、このあたりで。

また折を見て考えてみたい。

 

今日のお酒:ビッグピート