22/12/30 Love (and rely on) your neighbor.

結構長い間、欲も悩みも、大体のことは自分でなんとかしろよ、と思って生きてきたし、実際自分もそうしてきた。

自主独立を尊重する、放任主義的な(悪く言えば自己責任主義的な)雰囲気の環境に長く身を置いたからだと思う。

 

人には頼らずに、ということが別に何も生まないことを、それどころか害しかもたらさないことに、最近ようやく気がついた。

というか、ひとりで乗り越えても、それは特に意味がないとまではいかずとも、ただ自分の前の道が平坦になっただけで、一般化されうるノウハウも少なく、共有される達成感もなく、ただ極めて小さく個人的な苦労が記憶として残るだけである。事実そうであった。

 

何が言いたいかといえば、至ってシンプルなことで恥ずかしいのだが、別に、困ったら友人知人に頼れば良いということだ。

「いつから朝でどこから友達なの?」とはインターネッツの一部で持て囃されるぽえムだが、「どこから友達」で、「どれくらい親しかったら頼っていいのか」というひとりよがりな遠慮は、裏返せば結構失礼なことで、ありがたいことに、大体のひとは手を差し伸べてくれるのだ。

頼ってばかりで申し訳ない、自分は相手になにも返せていない、と勝手に懊悩しているのはいつも自分で、それはそれで大切な意識には間違いない。間違いないのだが、人間関係は必ずしもギブアンドテイクだけで成り立つものではなくて、そこにはきっと(意識されない)無償の愛が、ひととひととを結びつける何か、たぶん信頼、として存在するのだろうな、とぼんやり思う。

何がきっかけだったのかは判然としないが、目を覚まさせてくれたのも、きっと私の愛すべき、そして頼るべき隣人たちなのだろう。

ありがたいことだなあ。

 

今日のお酒:ズブロッカ ロゼ(あまり美味しくない)

 

※補足しておきたいのが、自分が頼られたとき、自分で解決すべき、とか、「あなたはどうしたいの?」などと、一蹴していたわけではないということだ。

それなのに自分はひとに頼らなかった。内面化された呪いとは恐ろしいものである。