24/04/08 STEP by STEP UP↑↑↑↑

ジムに行こうと思っても、機械の正しい使い方や正しい鍛え方が分からないとどうにも続かないよな~と思った。

自分は大学時代、必修だった体育で太極拳コースのじゃんけんに負けて筋トレコース(今思えば筋トレコースって意味不明だ)に行く羽目になって鍛え方をあれこれ学んだので、機械の使い方と意識するポイントさえ分かればそれとなくできる。ペアになってくれた合気道部だか柔道部だかのアイカワ君?だったかな?がジムでバイトしていたガチのひとだったことも大きい。当時はぶつくさ文句を言っていたが何が役に立つか分からないものだ。勉強は大事。ひととの縁も大事。ありがとうアイカワ君。

レーニングに限った話ではないけれど、「やりたいけど始め方がわからない」ことってたくさんある。あるいは始めてはみたけれど、自分の練習方法が本当に正しいのか、効率的なのか、不安になることもある。「何が何でもやらなければならない状況」になれば、そういうまごつきや正攻法などガン無視してやるのだろうが、そういう状況になることもまあ~あるまい。自ら進んでそういうところに飛び込むテもあるのやもしれないが、そっちのほうがよっぽどレアケースだろう。

しかして、YouTubeには指南動画が溢れかえっているし、本屋に行けば数に多寡はあれど一応入門書や教則本がある。そういう意味では、「始め方がわからないことってたくさんある」は言い過ぎかもしれない。間口は広くなった。初見やニワカを手荒く扱うとコミュニティ自体が衰退していくと知られたこともあるやもしれない。

ただ、あれこれとっかえひっかえ手を付けてみた経験からすると、「初心者向け」に比べて「初級者向け」、さらに「初級者を脱しそうな人向け」の指南コンテンツってあんまりない気がする。セオリーを飲み込んで、自分で試行錯誤して上達のサイクルに乗れるまでの、たとえば補助輪外したてみたいなレベルの、そういうひと向けのやつ。

中級者とかになってくると、基礎ができているので、上級者の動きを見て学べると思う。だからコンテンツとしてないのも頷ける。でもやっぱり無いということは儲からないんだろうか。あるいはもしかしてシンプルにブルーオーシャン

勉強でも、大学レベルになっちゃうと「基礎」「応用」「発展」なんて優しく3段階に分けて用意されていることなんてなくて、全然違う著者の本を組み合わせてステップアップしていかないといけない気がする(この間Twitterで統計を学ぶには、みたいなトピックで見た)。

もう一歩進めば楽しさが分かるのに、その手前でやめちゃうのってすごくもったいないし、なんかそういう里程標的なサムシングが見えるようになれば、うれしいのにな。

24/04/07 リバー、暖かくしてよ

今日は目黒川まで桜を見に行ってきた。

本当なら午前中に池尻大橋から目黒まで下って、午後から目黒シネマで『ダンサーインザダーク』を見るつもりだったけれど、休日にそこまで快活に動ける人間ではないことを失念していたので、ふつうに昼前に起きた。

よく考えたら昨晩お酒を飲みながら『ダンケルク』を見終えたときには4時半とかだったのでそりゃあ無理だ。起き続けたほうがよかったまであった。

布団から這い出たら予想以上に暖かかったうえに雲もここ数日に比べれば薄めだった。これは桜も満開に違いない、とまずは近所を流れる神田川沿いの桜並木までのそのそ行った。

しっかり満開だった。むしろ散り始めてすらいた。子供たちははしゃぎまわり、子供と桜を一緒に写真に収めたい親御さんたちは悪戦苦闘し、おじさんたちはビール。老若男女が同じ花のもとに集ってにこやかなのは本当にいいことだと思う。

ぐるりと一周して、目黒に赴いた。案の定すごい人だかりだったけれど、想像よりはマシ。でも、いざ桜と行く前に、近くのお寺を回ってしまった。大圓寺、蟠龍寺、目黒不動。2年前に三十三間堂で買った御朱印帳も7割くらい埋まってきた。桜並木に戻るためにLUUPを使おうと思ったら、ほとんどすべて貸し出し中になっていて笑ってしまった。みんな考えることは同じだ。

そこからは目黒川を遡上して、中目黒あたりから想像していた混雑になって少し離脱。川の両岸に背の高い建物が林立していて、少し日が傾いだらもう日陰になってしまってかなり残念。日に照らされる薄桃色の花を見たければ正午前後が一番よさそうだ。勉強になった。

てくてく歩いて池尻大橋にたどり着いた。よく考えたら目黒区美術館に寄ればよかった。残念。渋谷まで歩くか迷ったけれど、足の裏が悲鳴を上げていたので田園都市線に乗った。ひどく混んでいた。沿線には住むまいと思った。後から歩数計を見てみたら1.5万歩しか歩いていなかった。ひとを避けながらだと疲れるんだ。

スーパーに寄ってから家に帰って、軽く食べてジムに行こうとしたら、強烈な眠気に襲われて3時間も寝てしまった。血糖値スパイク。今も少し身体がダルい。

振り返ってみると結構充実した一日だったみたいだ。身体がダルくてなんかよくわからない。まあでも、暖かくなってきてよかった。もう寒くならないでほしい。

24/04/06 ride

近頃真冬に比べれば寒さも和らいできて、都内でも今まで行ったことのないところに行く機会が増えた。

それで結構びっくりしているのが、どんな駅でも人が乗り降りすることだ。

額面通り受け取られると馬鹿にしているように思われてしまうかもしれないけれど、自分の地元のあたりでは、1日の乗降客数が1000人を割るような駅がざらにある。そういう駅に停まる列車はもちろんガラガラだし、駅に停まっても誰も降りないし、乗ってこない。ああいう電車に乗っているときの、空気に粘性がある気がしてくる穏やかさ、気だるさが大好きだ。

そういうバックグラウンドをもってして、あっちこっち聞いたことがない駅まで行ってみたりすると、どこでもぞろぞろと人が降りていくし、列を成して列車を待っているから、驚くのである。

もうちょっと付け足すと、その駅から出て、周囲が栄えている(この感覚も当社比で、だろうけど)と、もはやうろたえるレベルまで来る。駐輪場と田畑しかない、遠目に建物が見える、そんな駅は都内には存在しないのだろうか? もっと奥まで行けばある?

なんというか、東京はすごい。人間の絶対数が違うのだ。そりゃひと以外のものも集まってくるよな~と思う。ひとが集まり、ものが集まり、ものに惹かれてひとが集まる。よくできたサイクルだねしかし。

こんな一極集中の仕組みを思い出したところで意味はないのだけど、最近は出先での交通手段としてシェアサイクルもよく使っている。公共交通機関でつながっていないところは意外と(意外と、というのも田舎者感が強い)あって、そういう余白地帯を自転車で寄り道しながら巡るのもなかなかたのしい。乗り鉄乗りつぶしの楽しみとはこういうことかもしれない。

Google mapに「行ってみたい」ピンを刺しておいて、また来ようと思う機会が増えたのも、ちょっとした楽しみである。

24/04/04 今日九重に

せいぜい一週間、開花から数えても二週間そこらしか見頃がない花を、みんな心待ちにしている。そのうえ、みんなそれを春どころかこの国の象徴のようにすら感じていることを改めて思うと、なんか、うまく言えないけど、すごい。

あえて言う必要もなかろうが、桜のことだ。

いや、ほかの花々もだいたい一週間くらいが盛りなのかもしれないけれど、やっぱり一斉に咲いて一斉に散るから、特に印象的なのかもしれない。梅や桃も、桜と同じバラ科サクラ属だけども、シンプルに植わっている本数の差でこうなるのだろうか。あるいは年度の切り替わりという社会的な節目にちょうど咲き誇るからだろうか。

平安時代ごろに春と言えば梅、から桜、に移り変わったと聞くけれど、1200年くらい、毎年同じ花を楽しみにしているというのは何とものどかでよい。

今日は井の頭公園千鳥ヶ淵で桜を見てきたが、だいたいみんな片手にお酒を持っていた。花よりお酒。コンビニには団子が売ってないから致し方ないか。

地元の桜並木のあたりでは古くからある駄菓子屋が団子を売っているので、リアル「花より団子」ができたのだが、東京では団子を焼いているところすらほとんど見かけない。かなり悲しい。桜の季節限定で団子の屋台でも引いて回りたいレベルである。

今日の日記はかなり締まりがない気がするが、みんなで同じ花を楽しみにして愛でるのはよい!のどか!てな感じのゆるふわトピックだから仕方ないな。

今年は咲き誇りの時期に快晴になる日がなさそうなのがなんとも口惜しい。青空の下の薄桃色の小さな花が、なによりも愛おしいのだが。

24/04/03 いるいるい

年始に掲げた目標を、今年は割と快調な滑り出しで達成している。
4年使ったiPhone SEiPhone 15に買い替えた。金沢に行ってしこたま日本酒を飲み太った。ジムに通い始めた。ZAZEN BOYSのライブに行った。

そしてそう、靴や服を積極的に買うようになった。
もともと出不精だったことや、服は消耗品であるという思想のもと、安価でシンプルなデザインのものを毎シーズン買い足して古くなったものを捨てる代謝的なものとして衣類を捉えていた。気に入ったものばかり着ていたらすぐに傷んでしまって悲しいし、外に出る機会が少なければ種類を揃える必要もなかった(服を買いに行くための服がない、に陥りがちなやつだ)。

ところが、このところ出かける機会が増えた。必然的に買い揃えなければならなくなった。そして今更ながら、本当に今更ながら気付きを得た。気に入ったものをたくさん揃えておけば、サイクルを回せるのですぐに傷んで悲しくなることがない。

これは革命であった。

何がきっかけだったのか良く分からないが、たぶん、秋ごろに西武池袋のタケオキクチでコートを買ったのがきっかけだと思う。ちょっといい値段だったが、かなり気に入ったので即決で買った。羽織った瞬間にこれは買う、と決めたのは初めてだった。
それからは毎月、あれこれ買っている気がする。アウターが好きなのでそればかり増えているのが頭の悪いところだが...好きなので仕方ないね。

冬場は着る枚数が多いのも、そういう楽しみに気付けた要因だった気もする。夏みたいに着る枚数が少なく、薄手のものになる季節では、気に入った衣類を買っていくことの楽しみは少し減るんじゃないだろうか。

ただ、あれこれ買ってみて思うのは、「明日は何をしよう」のときに「明日は何を着よう」が加わって嬉しい一方で、ちょっと大変だということ。あんまり気に入っているものを汚れうるところに着ていくのはリスキーだし、かといって気温もあるし、うっすらめんどくさい。その点、夏は気楽で良い。あちらを立てればこちらが立たずってことだわね。

あと結構場所をとる。気付いたら徐々に家主のスペースが侵食されている。書いていたら冬物を片付けられるのか不安になってきた。
バック・トゥ・ザ・フューチャー2』で出てきたサイズとか見た目が自在なスーツがあれば楽なのに!

...いや、見た目は変わらないんだっけ?

24/04/02 食べだしたらマジでキリがない

この世に存在するお菓子で一番美味しいのに春限定のお菓子、じゃがりこ梅味が手に入る季節が今年もやってきた。

ほのかな甘さと塩気、そして確かな酸味が織り成すハーモニーは、ジャンクなじゃがいも揚げ系お菓子につきまとう油感をかき消し、一度蓋を開けたらもう止まらない。食べ切るまで理性を喪失し、気が付いたら食べ切っている。というか食べ切るまで気が付かない。

内容量が52gと通常より少なめ(サラダが57g、チーズとじゃがバターが55g、たらこバターが梅と同じ52g)なのもよくない。たらこバターはもう少しオイリーなので食べるスピードがやや落ち、1つ食べ切れば満足感がある。梅は先に述べた長所があるがゆえにバクバク食べられる。そしてすぐになくなる。長所ゆえの短所。もどかしい。

さっきもジム(3月から通い始めた!)の帰りに寄った西友で見つけて2つ買ったはずなのだが、もうなくなった。食べた記憶はあまりない。ジムに言った意味も記憶も奪い去っていく恐ろしいお菓子である。

各位におかれてはぜひともご賞味いただきたい。

 

じゃがりこと言うと、かつての職場の近所にあったドラッグストアで謎の価格崩壊を起こしており、毎日その日の気分で味の組み合わせを変えて5個、買って帰っていた。言い換えるまでもないが、要するに毎日5個食べていた。

当然太ったし、そのドラッグストアではたぶん自分が買いすぎたせいでまず個数制限が付き、さらに2,3か月後には崩壊していた価格が市場適正価格に戻っていた。なぜあんなに安かったのか今となっては不思議だが、なぜそんなに食べていたのかも今となっては不思議だ。

 

もうそんなことはするまいが、しかし、さっき食べた梅味2個分のカロリーは明日帳尻を合わさねば...な日になってしまった。

24/04/01 やる気元気書く気

としゅひゃっぺんの名の通り100編の日記を書いて以降、完全にどうでもよくなっていたこの場を、もう一度興してみようと思う。春なので。4月1日なので。嘘じゃない。

ちょうど一年くらい、時折思い出したように何かを書き付けて、定期的じゃなくても書いていこうと思う、などと毎度のごとく宣ってきた。結局のところ、「気が向いたときにやる」と言うのはやらないに等しいことだと分かった。
人間は締め切りがないといつまでもほったらかしてしまうのだ。締め切りがあったとしても、しかもそれを覚えていたとしても、何かと理由をつけて後回しにしてしまう。切羽詰まってから手を付けて、何とか形にしたものを放り投げられたらまだましで、ぶっちぎるひとも、それなりにいる。

だからもう書くのだ、24時までに書くのだ。

ちょっとした強迫的なところもあるが、やはり書かないと書く力は衰えていくのだと気付く出来事があったから仕方ない。何事も継続は力であり、継続こそ力になる。やらないよりかは断続的でもよかろうが、それでは元の木阿弥だ。

縛りを課さねば人はやらない。そして縛りは力を底上げする。『HUNTER×HUNTER』でも『呪術廻戦』でも言われていることだ。

じゃあ書く力を磨いてどうするのだ、というところもあるが、それを生業にしたいとはあまり思っていない。正直に言えば、やってみたいけども...本業にはしたくない。

どちらかと言えば、自分が自分の思うままに、自在に文章を編み出せないことが苦痛なのだ。
これを理想とのギャップと捉えるといささか傲慢だが、そうではなくて、衰えて「できなくなった」ことが根幹たる問題、悩みの種、一念発起のきっかけである。気に入っていたパンツが腹回りの膨張によって入らなくなったことにショックを受け、ダイエットを決意するのと構造的には同一だ。

 

としゅせんぺんを目標にするぞ。やるぞ~!うおおおおおおおおお