24/02/18 杉並2駅

今日は高円寺と阿佐ヶ谷に行ってみた。

三鷹、吉祥寺、荻窪、中野あたりの中央線快速が停車する街には何回も行ったことがあったけれど、その荻窪中野間で飛ばされるこの2駅は、伝聞だけで勝手なイメージが醸成されていた。有り体に言えば、街中がファンタスティックな感じになっているとばかり思っていた。

勝手に思っているのもなんだし、そこそこ暖かいしということで、昼過ぎそこそこにえっちらおっちら行ってみたのである。なぜ朝から出かけないのかと言うと、そもそも起きるつもりがないし、起きたとしても、予定がなければしばらくPerfumeさながらに「今日はどこに行こうかな~」とインターネットサーフィンに勤しんでいるからである。かなり無駄な時間。
でもやっぱり、寒い季節は一日のうち最高気温に到達するくらいの時間に出かけるのが一番好きなのだ。着込むのは嫌いだし、なにより暖かいと気分が良い。

当の高円寺&阿佐ヶ谷は、そりゃ考えてみれば当然なのだがイメージより遥かに落ち着いていた。住宅街+駅前+商店街という構造で、アーケード付きの商店街が何よりも好きな自分にとってはウキウキできるところだった。

高円寺の方がやや下北沢チックな、うまくあの感じを表現できないが、「あ、この人は下北沢で降りていくな」というのが電車内で分かる感じの人々が多かった気がする。カレー屋と喫茶店が混んでいて...古着屋があって...的な。
知人に教えてもらったコーヒーショップに行ってみたら、DJイベントをやっていて入れなかった。いやたぶん入ってよかったんだろうけど、入りにくかった。
代わりに、そばのギャラリーで五美大合同の小規模な作品展をやっていたのでそちらを見てみた。購入もできるようだったが、一番気に入ったものは非売品だったので、写真だけ撮らせてもらった。
気象神社では梅が咲いていて春の近さを感じた。そういえば数日前に近所でメジロを見たのだった。

高円寺から阿佐ヶ谷までは歩いてみたけど、高架下を歩くのは新鮮だった。田舎者臭い感想だろうか? 地元の高架下はほとんど駐車場だった。

阿佐ヶ谷駅近辺の高架下は再開発されたことだけ知っていたが、案の定ありふれた感じのつまらない風景に変わっていた。小綺麗で醜悪。ハリボテみたいな壁面が本当に気味悪かった。
一方で商店街の方は本当に楽しくて、歩き抜けたら南阿佐ヶ谷に着いていた。商店街なんてなんぼ長くてもいいですからね。途中NHKの72時間に出てきた角打ちできる酒屋さんもあったので入ってみたが、ウイスキーはあまりなかった。残念。
阿佐ヶ谷の方は商店街を歩いていたら終わっちゃった感があった。人でごった返しているわけでもないので快適に歩けたし、住みやすそうだ。候補に入れておこう。

どちらもの街も、夜飲み歩くとまた表情が変わるのだろうということは強く感じられた。メインストリートから覗ける飲み屋街の雰囲気はかなり好きなタイプのものだった。次はべろべろになりに行こう。

24/02/12 うえのでー

今日は科博の和食展と、東博の光悦と、カラオケに行った。

和食展は行くか迷っていたのだけれど、一昨年の毒展以来行っていなかったので、せっかく興味が湧いたのだし行くか、と思って赴いた。
入場券を買う列――とはいっても自分だけだったが――に並んで待っていたら、係員の人に「大学パートナーシップ対象校の方は学生証をご用意ください」とこちらを見て言われたので「違います」と明言する羽目になった。このところ若く見られるのが悩みなのだが、ここでもか...とやや落ち込み。このことはまた別の日に掘り下げよう。

中身のことだが、あらかじめ覚悟してはいたものの、ガキンチョの多いこと多いこと。普段美術館にばかり行っているせいで久しくその光景を忘れていた。三連休だったからか、ご高齢の方も多く、なかなかにカオスな様相だった。全部見るのにたぶん空いているときの倍以上の時間を要した。
山菜やキノコが好きな自分にとってはそのエリアはとても面白かったし、野菜・魚のエリア、和食の歴史も興味深かった。レプリカだらけなのに面白いのはすごい。ちょっと前の近美のガウディは面白くなかった。最後、監修者の皆さんが「自分にとっての和食」を語っていたのも良かったな。

光悦の方は意外にも空いていた。むしろ中尊寺の方が外まで待機列が伸びているような混雑ぶりだったので、開幕すぐ行っておいてよかった。
正直、謡曲の本を法政大学から借りまくって展示点数を保ったな?という気がめちゃくちゃするスペースの使い方だった(そのおかげで空いているように感じた可能性は大いにある)が、刀・書・漆器・陶芸と、マルチに才能を発揮していたことは十分に理解できた。というか嫉妬した。自分も刀の鑑定して、書を認めて、漆器をデザインして、茶碗を作りたい!

舟橋蒔絵硯箱のインパクトは強烈だったが、個人的には鶴下絵三十六歌仙和歌巻が見られたのが良かった。もう今は手で字を書くことは減ってしまっているけれど、やはり機を見て手ずから書き記さねばならないなと感じさせられた。あと、泉屋博古館東京でやっている漆芸の企画展を先に見ていたのは本当に良かった。漆器の基礎知識があるだけでやはり楽しめる度合いが大きく変わる。しかしどうして光悦は鉛を選んだのか。気になる。

最後、ちょっと時間が余ったのでカラオケに行った。

自分はカラオケに行くと必ず東京事変群青日和を歌う。それで毎度必ず、「突き刺す十二月と伊勢丹の息が合わさる衝突地点 少しあなたを思い出す体感温度」のところで、たぶん100回生まれ変わってもこんな詞は書けないだろうな、と思って涙ぐむ。何食ってたらこんな表現ができるんだろうね。
ファズで歪みまくったギターのソロも良い。何なら自分はそこも歌う。良い曲は楽器別に歌っても気分が良い。イントロ→Aメロの間のベースもそうだ。でもそういうことをすると弾きたくなるので良くない。四次元ポケットでどこでも楽器を取り出せるようになってほしい...。

 

朝から晩まで遊び倒していい祝日だった。ちゃんとした日記が書ける休みは良い休み。うん。

今週は寒暖差が激しそうで憂鬱だが...いろいろ楽しみなこともあるから、まあ、ぼちぼち。

 

24/02/07 Enthusiasmkiller

雪が降った。足跡が残るくらいには積もってたのを知っている。知らない間に融けていた。

世の中の流行に対しても似たような態度を取っているな、と思った。
何かが爆発的に流行っていることは知っている。なんなら流行る前から知っていたこともある。でも、流行っているから、という理由でそれに手を出すことはあまりない。ゆるい逆張り。流行っているという事実がそれに対する興味を失わせる。応援していたバンドが有名になったら、なんか冷めちゃうのと似ている。
それに、流行り(だけじゃないけど、とにかく何か)に熱狂している人を見ると、これと同じにはなりたくないな、という冷静さが自分の「狂い」を抑制しに来る。

熱狂は楽しい。経験したことがないわけじゃない。何かに夢中だと、その他気に障る諸々があまり気にならなくなる。熱狂に吸い込まれてオールインした献身は自己効力感にもなる。推し活もある種そうだろう。応援の結果、推しが活躍すると嬉しい。

でも、なんだか、それ、すなわち熱狂は、生き甲斐のアウトソーシングのような気がする。いや、こんなことを言い出したらキリがないことは分かっている。「何かのために」の「何か」に自分以外が代入されたとき、それは全部「そう」なってしまうからだ。それはつまり客体への愛の否定であろう。そこまで言うつもりはない。何かを大切にして愛を注ぐのと同じくらい、自分にも愛を注いだ方が良い、と無意識に考えているのかもしれない。自分でもうまく整理できていない。

そういうことを考えながら今日は外に出た。まだ少しだけ、融けかけてまた固まった、残された雪に特有のザクザクとした感触をその肌から思わせる塊が、日陰の苔のように佇んでいた。

少し名残惜しくて、その片端を爪先で弄った。案の定、サクレのようにザクザクとしていた雪は、コンクリに滲んで消えていった。

まだしっかり積もっているうちに、雪だるまを作ればよかった、と思った。

24/02/05 Thoughtseize

最近は映画をよく見ている。
サブスクでも見るが、もちろん映画館にも行く。

先週なんてもう、本当にわけがわからないが、3回映画館に行った。7日で3回。自分でもちょっとびっくりしている。
ゴールデンカムイ」「コット、はじまりの夏」「哀れなるものたち」の3本を見たのだけど、いずれも毛色が違って、全部今週見たのかちょっと疑わしいくらい、それぞれの記憶が別個に存在している。いや、もちろん、それぞれ一緒に見た相手も違うから、そういうところも作用していそうだけど。

一応感想も書いておこう。
ゴールデンカムイ」はエンターテイメント。The 娯楽映画といったところ。寒いのが苦手な自分としては見ているだけで凍える心地がした。氷点下何度だったんだろう...。
「コット、はじまりの夏」はきわめて文学的な、余情に満ちた、農場ASMRだった。暴力のないソナチネ。余韻がずしりと重かった。
「哀れなるものたち」は人間讃歌。イノセントなベラが、歪な世界を知り、自らの足で道を踏みしめながら進んでいく。われわれの時間で言えば2時間、その間に、彼女は"Improve"せんという決意のもと、まなざしは鋭く、真っ直ぐ前を見据えるようになる。震えた。
どれも面白かったが、やはり後者2本に比べると、「ゴールデンカムイ」は見劣りしてしまう。比較すること自体が酷な話ではあるが。

そんでもって、ちょっと前にサイバーパンク エッジランナーズ目当てに加入したネットフリックスで、「映画大好きポンポさん」も見た(エッジランナーズはまだ見ていない。)。

その中でひとつ、ぶっ刺さって抜けない台詞がある。「幸福は創造の敵」。言うまでもなく、かつ運が良いことに、心当たりがあったからだ。

満たされているとき、ひとは思索に耽らない。現実で少し手を伸ばすだけで己が心のゲージ(自分は「まんぞくゲージ」と勝手に呼んでいる)が充填されるとき、胎内巡りがごとく、自らの精神世界の暗闇を、壁伝いにそろそろ歩くような真似はまずするまい。しかも、一人ぼっちで。

しかし、無から有を創造する営みは、その思索のなかにある。あるはずだ。真っ暗闇を進む片手に握るものは、ひとによっては剣となり、魔法の杖となり、大切な人の手となり、光明を切り開く。改めて言うまでもないが、その力は世界を動かしうる。それは思索に耽り、創造に至ったものだけの勲章なのだ。

そう、だから、半年くらい、なんだか書く気が起きないな、やりたいことがたくさんあって忙しいしな、と思っていたのだけど、ポンポさんの言葉で、自分はそこそこ満たされているということに気付いたのだ。幸福とまでは言えずとも、ひとまずは安寧のうちにいる。
ひとまず、と言うのは、ときおりぼーっと思索に耽ってしまい、碌でもないマイナス思考に沈み込むからだ。穏やかな航海をしていた安寧丸が、突如として後悔の嵐に巻き込まれ、あわや沈没というところまで揺れる。
そういうときはお酒で正気に戻っているのだけれど、この日記とて、思索のひとつである。充実した時間を過ごしていると、どうにも筆が進まない。ほかのことをしたくなる。映画を見たり、ギターを弾いたり、ゲームをしたり、本を読んだり、出かけたり、お酒を飲んだり...。

そうして徐々に書くペースが落ちていった。やはり安寧は、幸福は創造の敵なのだ。

でも正直、自分でも気付いている。これは満足とかではなくて、余暇さえあればずぶずぶと思索の沼にはまっていく自分を、自ら目を眩ませて、そうしないように導いているのだ。「自分の機嫌は自分で取る」みたいな。
でも、とすると、本当に満足するには?まんぞくゲージを満タンにするにはどうすればよいのか?ということを考えねばならなくなる。また思索である。堂々巡り、胎内巡り。哀れ、哀れ。ちゃんちゃん。

 

今日のお酒:虎斑霧島のお湯割り

24/01/17 CAN I CELEBRATE?

先月、今月と、友人の誕生日を祝った。
今まで祝ってこなかったのかと誤解を招きそうな書き方になってしまったが、いざ振り返ってみると、Twitterで祝福のリプライを送ることを「祝う」と言ってしまってよいのだろうか、という気もしてくる。

そう、そんな祝い方しかしてこなかった、むしろそれこそが一般的だった身としては、誰かの誕生日を盛大に、良いものを食べたり、パーッと遊んだりして祝うというのは新鮮に感じられたのだ。冷静になって考えてみると、一部の友人(特に、明らかに自分とは生き方が異なっている、どうして友人関係になれたのかちょっと不思議な層)がインスタに誕生日パーティ的な写真を上げていたことを思い出して、「そういうことだったのか」と合点した。

しかし、当然、プレゼントを贈るという習慣も、せいぜいが家族くらいの範囲で生きてきたので頭になかった。よーく思い出してみると、そういえば高校生のころはお菓子とか、ジュース20本とか、顔面パイとかプレゼント(?)していたな、という思い出も蘇ってきたが、それももう結構昔の話、それなりの年齢になって人に贈るものをうまく選べないというのも少し恥ずかしい話である。お酒とか、文房具なら予算に合わせて見繕えるけれど、いずれもが当てはまらない場合、困る。

自分が貰って嬉しいもの、みたいな考え方もあるけれど、当の自分は何かを買うときかなり、かなり比較検討・吟味するタイプなので、貰ったものを使わずに大事に仕舞い込んだり飾ったりして、嫌がられることすらあり、たぶん参考にしない方が良いのだ(今まで交際したひとたちにも、「あなたにはプレゼントを贈りにくい」と言われていた。どんだけだよ)。

話題を元に戻すと、親しいひとの誕生日を祝うというのは、とんでもなく楽しい。普通に飲酒して遊ぶのとはまた違って、「本日の主役」がいるのは面白い。たぶんこれは誕生日という名目である必要はなくて、とにかく祝われる主役がいることが大切っぽい。まあ確かに、持て囃されて嫌な気分になることってそんなにないし、持て囃して嫌な気分になることもない。仲が良ければ尚更。

ということで、これからは積極的にお祝いしていこうと思いました。めでたいことは、よきかな~。

 

今日のお酒:オールドエンジンオイル(クラフトビール

24/01/16 澪標

2024年も一週間以上が経つ。経ってしまった! ちょっと気を抜くとすぐに一週間が終わる。

なので、今年の目標をそろそろ立てておかねばならない。義務ではないけれど、そうしておかないと、「別にいいや」と投げ出したり、「あれもやりたいこれもやりたい」と収拾が付かなくなったりすることが目に見えている。つまり、自らの怠惰と飽き性への対策として、「これをやる」と高らかに宣言しておこうという魂胆、保険、先回りである。

本当はこういうとき、去年の振り返りをしっかりやりつつ、の方が良いのだろうけれど、ざっくり言えば本を読めなかった(買いはした)ことと、クリエイティブな何かを始められなかったこと(ギターは他人の曲をなぞるだけだ)くらいしか心残りがない、幸いにも充実した年だったので、そこまでその必要性を感じていない。いや、正直に言えば、たくさんの小さな後悔の芽に目を向けたくないというのもある。満足していることがらでも、つぶさに振り返れば、たらればが無限に出てくるので。

ということで、去年の流れを汲みつつ、目標をここに打ち立ててぶっ刺しておく。

 

〇本を読む(2年連続2回目)

本屋には毎週通って、月2,3冊の本を買っているにも関わらず、1冊も読み終わっていない。異常事態。なので、とりあえず積んでいる本を読む。20冊くらいある。増えるスピードと読むスピード、どちらが速いかなんていうのは小学生でも分かるが、しかし、読みたい本たちなのは間違いないので、順番に読んでいく。これは絶対です。

あと、近代文学の名作も、いくらか未読のものがあるので読んでおきたい。大河ドラマに合わせてめちゃくちゃフィーチャーされている源氏物語も読みたいが...また帚木か空蝉くらいで挫折しそうだ(超長編って、何回も挑んで何回も挫折するから、初めだけ触れる回数が増えていくよね)。

 

〇旅をする

秋ごろに、三連休で金沢に行くつもりだった。春に北陸新幹線が福井まで延伸したら混むんじゃないかと思ったからだ。あるいは仙台に行こうと思っていた。単純に東北に行ったことがないからだ。

わざわざ三連休という混む時期に行くのもな、と思って延期したら、あっという間に冬、寒さが何よりも苦手な自分にとって、北陸も東北も行こうとは思えない場所になってしまった。そこに元日の地震である。

当然ながら、行きたいと思っている場所には早く行った方が良いのだ。さっさと交通手段と宿を確保して、行かざるを得ない状況にしてしまえばいい! どうせ行って後悔することはなかなかないのだから。

ということで、今年のうちに金沢・仙台・大阪・福岡に行く。少なくともこのうち2か所には行きたい。

海外だと、スコットランドで蒸留所巡りをしたり、旧ユーゴスラビアでスポメニックを見に行ったりしたいが、それはまあ、国内のあとということで。

 

〇クリエイティブな何かを始める(2年連続2回目)

去年は掲げた4つ、①楽器②作曲③陶芸④絵画のうち、①にあたるギターしか始められなかった。そろそろサックスかピアノをやってみたい。どちらもやりたいと言い始めてもう10年以上経っている。最初思ったときに始めていれば10年のキャリアがあったのに。

楽器はさておいても、簡単なお絵かきとか、ちょっとした曲作りとか、とりあえずファーストステップを踏み出したい。こういうのは1回目をやるのが大変で、2回目をやるかどうかで継続するかどうか決まるみたいなところあるし。

 

〇そのほか

あとはもう、結構雑多なことばかりだ。一昨年まで数年間、「このまま朽ちていく」覚悟を決めていたせいで、いろいろなものが古いので、もろもろ買い換えていく、または新しく買い揃えていく年にもしたい。

・PCとスマホを買い換える
・服や靴を買う
・カメラとHMDを買う
・老舗、テーマパーク、花火に行く
・演芸場とかの「ライブ」の場所に行く
・筋トレor運動する(痩せる)
・車を運転する&行ったことがないところに行く

 

最後メモ書きみたいになってしまった。

もう正直とにかく時間が足りないが、うまいこと全部やりたいぜ。

24/01/01 ゆ

大変な地震だった。他の何を差し置いても、そう言うべきだろう。

自分はちょうど、近所のちょっと大きめの神社に行って、おみくじを引く列に並んでいたときだった。ゆったりと進む人の列に、ほとんどすり足で、境内の砂利に畝を作るようについていって、行進が小休止したタイミングでTwitterを(鉄の意思でアップデートを拒んでいるので自分のTwitterはまだ「Twitter」のままだ)開き、タイムラインを更新し、防災アカウントの緊急地震速報ツイートが目に入ってきた瞬間には、その場にいた人間たちのスマホがけたたましく鳴っていた。それとほとんど同時に、目眩かと勘違いしそうな、大きな周期でゆらゆらと地面が揺れ始めた。

あとから震度3,4くらいだったと知ったが、その場にいた人間たちは、自分を含め、「揺れてる、揺れてる」「結構大きい」と騒ぐだけで、しゃがみもしなかったし、逃げもしなかった。それくらいの揺れならこの地震大国で生まれ育った人間は慣れている、というのも恐ろしい話だが、正常性バイアスも働いていただろう。

揺れも収まったタイミングで順番が回ってきたので引いたおみくじは、大吉ではあった。しかし、おみくじとは逆の手に握ったiPhoneの画面に流れてくる地震の情報があまりに常軌を逸しており、かなり動揺していた。ほとんど中身も読まずに括り付け、日本海側に住んでいたり、帰省していたりする友人に連絡を取り、足早に帰宅した。

その後のことは改めて書くまでもない。友人が津波に巻き込まれやしないかと、ずっと気が気ではなかったが、さきほど警報が注意報に変わったので、安堵の度合いは大きく上がった。気を抜くべきではないのだけれど、よかった。

 

本当なら、去年と同じく、新年の目標をいくつか刻み込んでおきたかったが、そんなことをする気も起きないくらい疲れた。平穏な年になってほしい。