23/09/04 OneShot

日曜日はコミティア145に行った。

前々回の2月に行ってからなので半年ぶりである。そのときは初一般参加だったのでかなりのトキメキを感じたけど(その日の日記を『はてなブログの日記本』に載せてもらえたのだった)、5月のデザインフェスタを経て3回目のそういう場ともなると、やはり少し「こなれた」感じが自分の中から湧出してしまった。そういう自覚があった。

慣れって怖いね、という月並みなことを思ったわけではなくて、いや、広義でとらえればその範疇だけども、そうした「初めてではなくなっていく過程」で、我々の意識から気付かないうちにフェードアウトしていくものがきっとあって、そしてそれは簡単には取り戻せなくて、たぶんとても大切な何かなのだろう、ということを思った。

今回においては、先の自分の言葉を繰り返せば「トキメキ」なわけだけども、半年前と今回とで、出展しているひとたちや、出展されているものが完全に同じであるはずはなくて、そういうところで辛うじて「トキメキ」はこころの隅っこにひっかかって輝きを放っていてくれたのかもしれない(実際、結構な額を費やした)。

だから、きっと、自分の「こなれ」は、クリエイティブの精神に満ち満ちた場がある、しかも定期的に催されている、そういうことが既知となってしまったことに起因するのだろう。初めての場所やイベントを訪れたときの、「すげー」と口から漏れ出てくるあの驚きや圧倒=「トキメキ」が薄れてきているのだ。偉そうに、「うんうんそうそう、こうだよね」みたいなことを、こころのどこかで思っているのだ。

これはもう逃れられないさだめなのだろうか。馴化に抗うことはできないのか。時をおいても、再訪のときにはすでに「懐かしい」に置換されてしまう、「初」に対する感銘を、なんとか取り戻せないものか。

ああ、そうか、よく「記憶を消してもう一度読みたい漫画/プレイしたいゲーム」とか言われているのも、同じことだ。OneShotというゲームが、その「一度きり」の「一回目」の体験を極限まで昇華していたことを思い出した。

よくよく考えれば、この世の中に、まだ知らないもの、つまり、まだ自分が「一回目」を体験していないものは無限にあるのだ。そのはずなのに、行きなれた場所にばかり行ってしまう己の弱さの悲しさよ。

やっぱり慣れは怖いネ~。