東京に戻ってきてまだ2日目だが、早速その日の出来事をその日のうちに書けなくなりそうでビビり焦っている。
思えば、この日記をやろうと思い立ったのも2022年末に帰省したときだったし、どうやら実家にいると自分はサクサク文章を書けるらしい。まさか新幹線に乗っている間に自分の力が伸縮するはずもないので、あれこれ差分を考えてみたが、結局のところ「生活リズム」に行き着いてしまった。
両親は(労働に合わせて)規則正しい生活を送っており、休日でも字義通りの朝に起きて活動をはじめる。自分は世間一般に比して生活リズムが大変に乱れているので、休日は昼までぐっすり寝ている。我が家は休日の昼食はそれぞれが用意する(誰かが買いに行くとなったらフリーライドしたりもする)習わしで、似たような時間に居間に集まりはするものの、食べる時間や食べているものはあまり重ならない、というMMORPGのロビーみたいな感じになっている。
ところが夕食は平日休日問わずおよそ19時、基本的に家族揃って、というのが、物心ついてから現在までずっと実家では続いている。もちろん残業や友人との予定があれば人数は増減するのだが、19時からという時刻はほとんど動かない。
これが生活リズムを矯正してくれているのだ。本来なら朝日を浴びて体内時計をリセットとかどうとか言われるやつが、実家においては夕食がその機能を果たしている。その後も順番に入浴のサイクルが始まるので、19~21時あたりは完全にルーティーンと化しているというわけ。
もちろん親は「気にしなくていい、18時上映開始の映画でも見に行けばいい」と言うのだが、長年実家においてその繰り返しで暮らしてきたので、なんというか居心地が悪くなってくるのだ。実家に住みながら働いていた2年間も、ほとんど定時上がりで、コロナ禍で飲み会もなかったから、本当にその生活がDNAに刻み込まれてしまっている。これが大学生活も実家で過ごしていたならばこうはならなかっただろう。
それに、自分は家を出てしまったから、あと何回、食事をともにできるかも分からない*1のだ。年に数えられる回数しかない機会を、東京でも観られる映画のために見送りたくはない。
というわけで、固定化した2時間ののち、21時以降にふたたび活動する時間が生まれる。言わずもがな、ここで日記をしたためられるというカラクリだ。実家にもゲームなどの暇つぶしの類はあるが、それを楽しむのは家族で自分くらいなので、わざわざテレビを占有してやる気も起きない。せっかく実家に滞在しているのに、自分の部屋に引きこもってYouTubeを見るのはもったいない。誰かがテレビを見ている横で、会話に混ざりながらiPadでぽちぽち日記を書く。
なんと素晴らしい時間のサイクルだろう! しかも会話によって刺激を得られる。
今日自分は19時から上映の『I Like Movies』という映画*2を観てきた。帰路で買い物をして、家に着いたのはいつもの21時をはるかに過ぎた時間。そりゃあその日のうちに日記を書く余裕も少ないわけだ。
とは言え、やはり一人暮らしは自由だ。すべてが己のディシプリンで決まる。だからこそ自ら律さねばならないのだが、自分にとっては好奇心こそ生活の動力源であり、かつ自立機構なので、ダブルバインドではある。
うまく両輪にして前に進んでいかねばなるまいな。