自転車で走ると、その町の一員になれた気がする。
動力が備わった自動車ほどの遠出できる性能や存在感はなく、徒歩という動物に備わった基本機能ほどの普遍さはない。その間を埋める人力の乗り物として、家からせいぜい3kmとか、それくらいの距離の間でしか(日常生活で)乗り回さないからかな、と思う。もちろんそれは非学生に限った話で、学生はその異常な体力で異常な距離を自転車で爆走するから、ヤツらはちょっと違う(し、かつて自分がそういうことを感じなかったのもそのせいだろう)。
住処を持って、かつ自転車を持つ、という状態と、自転車で移動できる距離のうちに出かける、という生活感がこの帰属意識をもたらすんじゃなかろうか。
自分はリモートワークなので、昼休みにスーパーに買い物に行ったり、外食に行ったり、そういうときにキコキコ自転車を漕いで行くのだけど、そうすると日中時間のある主ふの人たちや、ご高齢の人たちに混じることになる。そういうときも良いのだが、やはり17時とか18時とか、みんなが帰路に就く時間が最も心地よい。
家に帰るときの、社会的なペルソナを外した、リラックス(あるいは疲労)感漂う夕焼けの町、それだけでも感傷的だが、そこを自転車で走ると輪をかけてエモい。あ~自分もこの和気藹々とした町に住んでいるんだ、という安寧を感じる。
子育て世代がたくさんいることや、長年住んでいる高齢者もたくさんいることも、自分が今の町を気に入っている理由の一つだとも思う。もちろん自分は余所者なのだけど、でも自転車を漕ぐと、溶け込めた気分になれるのだ。
それはそこそこ、いや、かなり嬉しいことだったりする。